式内 比都佐神社
Contents
概 要
社 号 比都佐神社
読 み ひつさじんじゃ
式内社 近江国蒲生郡 比都佐神社
所在地 滋賀県蒲生郡日野町十禅師410
御祭神
御神紋 三ツ巴
例祭日 4月14日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
蒲生郡 11座 大1座 小10座
※比都佐神社論社
比都佐神社 滋賀県蒲生郡日野町十禅師410
〃 滋賀県蒲生郡日野町別所26 この地が式内比都佐神社の旧鎮座地であるとの説がある。
近代社格制度 旧県社
創建 年代不詳
本殿様式 入母屋造
境内摂末社(祭神)
皇大神宮 野神
文化財
宝篋印塔(国指定文化財)
一口メモ
御祭神が多い神社だ。しかし、『神祇志料』には「蒲生稲寸の祖天津彦根」、『特選神名牒』「天津日子根命」、 『大日本史神祇志』『地理志料』「蒲生直等祖天津彦根命及山津照命日巣句比咩命」とあり、元々は天津日子根命であるらしい。現在の御祭神に天津日子根命はないのはなぜだろう。また、神名の尊称が「尊・命・神」と不一致なのも、比佐郷周辺の神社を合祀したのだろう。
歴史・由緒等
創祀年代不詳。往古往古比佐郷の発生と共に鎮座した古社で延喜の制に小社に列せられ、蒲生郡の名神であった。中古日吉神社の神領となり日吉七社の一つ十禅権現をむかえ必都佐十禅師ともよばれたが、日吉の勢力の保護により隆昌をした。加うるに蒲生家始め武家豪族の尊信を得て必佐郷の総社として栄えて来た。明治15年村社に大正15年郷社に列せられ昭和6年県社に昇格した。現在残されている「御官請取日記」によると、応安4年社殿を造営後150年を経た、文明18年に再建、江戸時代に入り享保2年と、文化5年の両年に社殿を造営、しかし明治17年社殿焼失、現在の社殿は明治19年の再建である。
「滋賀県神社庁」
境内・社叢
鳥居 社号標
神橋 参道
手水舎 拝殿
拝殿 向拝
狛犬
境内社 皇大神宮 宝篋印塔(国指定文化財)
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